朝陽・夕陽

盛夏の早暁、朱に染まる東の空に
消え残る飛行機雲を見た。
朝日すら昇らぬ時刻に飛行する機体が
果たして在るのか。
それはどこから来てどこへ往くのか。

夜の闇と暁の光の間(はざま)に飛ぶそれは、
冥府と現世の境界線を渡る船かも知れぬ。
乗っているのは何の魂か。

その飛行物の飛び去るを待っていたかの如く、
空の途中から現れた太陽が、
(か)は誰(たれ)時に区切りをつける。

夜の間、
この世ならぬものとの境が曖昧になっていた私に、

目覚めよ、
今日もまたお前はこの世を生きて往くのだと知らせに来る。

 

―――― 嗚呼

雲と朝陽に身を変えて、
時の間
(はざま)を往き過ぎる、
寄せて来るのは何の気配ぞ。

('040723撮影)


冬の朝、凍てつき倒れし我が前(さき)に、
光の道が開かれる。

('041203撮影)


彼方から、我を呼ぶものの声がする。
(かいな)を拡げて待つものの、
姿が見えるやも知れぬ、
この暁の中でなら。

('041216撮影)


覚めぬ悪夢は無い。

('050201撮影)


地平に溜まる時の淀みの中から、
薄目を開けて視ているものは、誰か。

('050224撮影)


――― それは
彷徨う私に示された
明日への道標

 

こんな白銀の夕映えも良いではないか、
初神詣
(はつかみもう)での帰路なれば、
朱に染まるよりも随神
(かんながら)(*注)。

(伊勢神宮参道にて '050321撮影


(*注)随神(かんながら)・・・@神にましますので。A神の御心のままに従って。B神代以来の。ここでは「その方が神々しい感じがする」と言うような意味で使っています。

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