姜維(きょうい)
「・・・何故だ!!

姜維

三国志に出てくる蜀の稀代の名軍師・諸葛亮孔明の晩年の愛弟子。

劇場版アニメ映画「三国志」のビデオ全3巻を観てビックリしたんですが、3巻目でいきなり架空のキャラ「関羽の娘」が出てきて大活躍するのですよ。
この巻は殆ど彼女の為に創られたと言っても過言ではないくらいでした。
そうなった理由は何だったのか?と無理矢理考えてみました。

  • 制作者が関羽の大ファンで、3巻で死んでしまう関羽に余計なエピソードを付けてでもいいから目立たせたかった。
  • 劇場用映画だったので、1年目(第1巻)・2年目(第2巻)と公開したものの、絵柄が地味だったので今一つ人気が出ず、3年目(第3巻)で派手に架空の女武将を出して人目を引きたかった。
  • 制作者が孔明の南蛮征伐の時に出てくる女武者・祝融孟獲の妻)の大ファンだったが、南蛮征伐の話を入れる余裕が無かったので、代わりに何とか女武者を出したくて、関羽の娘という事にして活躍させた。

・・・理由はともかく、出て来ちゃったものはしょうがないので諦めるとして、許せないのが、姜維が全く出て来なかった事!
特に、
孔明が死んだ後、孔明の木像を造って、あたかもまだ生きているかのように見せかけて、敵将・司馬懿を敗走させたシーンで、木像ではなくて、その関羽の娘が孔明の服を着て仮面を被って出て来たのには情けなくなりました。
ちょっと待て!!
孔明亡き後、その死を悟られぬよう無事に蜀軍を撤退させたのは姜維じゃなかったか!?そんなオリジナルキャラを出す余裕があるくらいなら、姜維を出しなさい姜維を!!
・・・しかし
姜維を出したら、関羽の娘なんて架空のキャラが活躍する場は無いだろうなあ。
あんな娘よりよっぽど魅力があると思うんだけどなあ、上手く描けたら、それはもうゾクゾクするようなキャラなんだけど、
姜維って。
私は実は、三国志の登場人物の中で彼が一番好きなのです。
孔明の晩年を支え、その亡き後も遺志を引き継いで蜀が滅んでなおも諦めず戦い抜いたのに、何故か無視される事が多いのですよ彼は。哀しい〜〜〜。

・・・と言う訳で、この落描き、「何故私が出ていないんだああ!!」と憤怒の涙を流しているところです。
いやホントは、大馬鹿君主・
劉禅があっさり魏に降伏して、蜀の国が滅んでしまった事に激憤しているイメージで描いたんですが、その頃には姜維は既に50才を超えていた筈・・・これはあくまでイメージと言う事で。

以下は、ちょっと長いですが、昔書いた文章を纏めたもの。
三国志に興味のない方には解り辛いかも知れません、ご面倒でしたらどうぞ読み飛ばして下さいませ。


私が三国志にはまったのは、横山光輝原作のアニメと漫画がきっかけでしたが、横山三国志では姜維の最期については詳しく描かれていませんでした。
他にも色々三国志関係の本を読んだのですが、
孔明の愛弟子にもかかわらず、姜維って殆ど注目されていないのです。孔明が死んじゃったら一足飛びで蜀が滅亡しちゃって、それで三国志はお終い、みたいな感じで。
もし
柴田錬三郎の「英雄・生きるべきか死すべきか」を読まなかったら、こんなにも姜維にはまらないまま、私の三国志歴は終わっていたと思います。
柴錬三国志の
姜維の悲愴で鮮烈な最期は、私の頭と心臓を鷲掴みにし、暫く寝ても覚めても姜維の事ばかり考えていて、切なくて息苦しくて参りました。
それまでは
張飛が好きで好きで、次が親兄弟を殺され放浪を続けた馬超だったのに、 それ以降、2人をすっ飛ばしてダントツに姜維が好きになってしまいました。
三顧の礼以来、余りの切れ者ぶりが鼻について、どうにも好きになれなかった
孔明も、姜維と出会ってから五丈原で命を落とすまでの、劉備の遺志を継ぐ為だけに命を削っていた頃の姿が好きになって、それ以前の孔明も何だか面白く思えて来たから不思議です。

その後、NHK-BSで放映された、中国中央電子台製作の、実写版大長編大河ドラマ「三国志」では、姜維の最期まできっちり描かれていて、涙が出そうでした。
姜維役は、若い時と晩年とでは別の人が演じていたのですが、若い頃を演じていた俳優さんが滅茶苦茶可愛いくて、もうイメージピッタリで、転げ回っちゃうくらい嬉しかったです。
年を重ねた方の俳優さんは凄く渋くて、これまたいい男・・・・・・嬉しかったですねえ。
このドラマの前半で出て来た
周瑜が、どうしても「美周郎」と褒め称えられる程の美貌とは思えず、張飛は哀しいほど中国の絵物語に出てくるイメージ通りで、岩石に髭の生えたような面構えだったし、姜維も出てくるだけましかと思っていただけに、この美形俳優さんの登場は予想外の嬉しさでした。
しかし俳優の当たり外れはともかく、このドラマは流石に本場の中国だけあって、物凄く丁寧に創られていて、三国志ファン必見の名作です。
私は全話録画したものの(全部で100話以上あったでしょうか、長すぎて何話まであったか忘れてしまいました)、3倍速で録ったせいか、長期保存の間に画質が劣化し、観るに耐えない状態になってしまった為、泣く泣く消去してしまいました。
もう一度放送してくれないかなあ・・・
姜維の所だけでいいから撮り直したいんだけど。


姜維は、元々は魏の武将でした。
孔明が晩年、宿敵・魏の討伐を目指して行った第一次北伐の際、見事な采配で蜀軍を敗走させ、その才に惚れ込んだ孔明は、全軍挙げての計略を用いて彼を取り籠め、「自分の兵法を継ぐ者はお前以外には居ない」と、蜀に降る事を請い願います。
その熱意に心打たれた
姜維は、孔明の配下になり、以後はひたすら孔明を敬慕し、その兵法の全てを引き継いで孔明を支えようとします。
しかし
孔明は4年の永きに渡る北伐の末、志を果たせぬまま遠征先の五丈原で病没、蜀軍は撤退を余儀無くされてしまいます。

孔明亡き後、姜維は蜀軍の重鎮となり、孔明の遺志を継いで魏討伐の挙兵を要請しますが、孔明の後任の丞相に永らく出兵を押し止められ続け、15年後ようやく魏の内乱に乗じて出陣するものの、愚鈍な君主・劉禅と宦官によって腐敗する国内からの援護も無いまま、思うように戦果を挙げられない状態が続きます。
やがて魏軍は蜀の首都・成都へ迫り、
姜維率いる精鋭軍が、最後の防衛戦でその大軍を相手に死闘を繰り広げている最中、別働隊が成都へ侵攻、君主・劉禅はあっけなく降伏。蜀は滅亡してしまうのです。
しかしそれでも
姜維は諦めず、降伏したと見せかけて魏の武将をそそのかし、内乱を起こさせて、それに乗じて蜀の再興を図ろうとしますが、その企ても成都に連行された時点で露見、共謀した魏の武将は殺されてしまいます。
数千の敵兵を相手に最後まで抵抗した
姜維は、無数の矢を受け、襤褸(らんる)の如く斬り刻まれて息絶えたと言います。

漢王朝の復興を目指した劉備関羽張飛の「桃園の誓い」に始まる、数多の人々の願いを引き継いだ最後の武将・姜維
劉備たちの死後に蜀軍に降った姜維は、どん底から這い上がってきた劉備を始めとする人々の戦いの歴史を目の当たりにしている訳ではありません。
たとえ孔明から伝え聞いていたとしても、劉備たちや、その宿敵・曹操までが既に亡くなってしまった今となっては、漢王朝の復興という目標に向かって、劉備たちと共に血の出るような苦労をして来た孔明でさえ、いくら言葉を尽くしても、その目標に込められた想いの全てを、姜維に伝えきれるものではなかったと思います。
にもかかわらず、
姜維は心酔する師・孔明の遺志を命がけで継ごうと、ひたすら戦いを続けて行くのです。
同様に
劉備たちの苦労を直接知らない、劉備の息子である2代目君主・劉禅や、孔明亡き後の臣下たちの殆どが、引き継がれて来た願いを忘れ、頽廃した享楽の世界にどっぷり浸かって国を滅びへと導いたのとは対称的に。
姜維が無駄な出兵を繰り返した為に国が疲弊したと、姜維を責める声も有るようなのですが、彼が孔明から託されたものの大きさと、それを全うしようとした忠義の心を思うと、それを責めるのは気の毒過ぎる気がします。

孔明亡き後、姜維は出兵を長い間止められてしまいますが、彼は相当頭が良かった筈なので、ならば武官から文官へと転身して、内政改革に努めれば良かったのに、と考える事も出来ますが、きっと姜維は、どちらかというとやはり、武将として戦の中で活躍してこそ能力を発揮できるタイプだったのではないかと思うのです。
逆に
孔明は、勿論軍師としての才能も天才的だったのでしょうが、どちらかというと抜群の政治手腕を持って内政に当たる方が向いていたのでは、と思うのです。
特に2代目がお馬鹿な
劉禅ですから、なおさらそうした方が良かったのでは、という気がします。
それでも
孔明が出師の表を奉って何度も北伐に向かったのは、やはり魏の脅威を感じていたと言う事と、孔明自ら軍を率いて出陣せねばならぬ程、人材が不足していた事が原因なのでしょう。

孔明ですらそうだったのですから、孔明亡き後の姜維にとっては、成都に居て机上で策を巡らせるよりは、前線に出て戦う事が、最良の選択肢だったのかも知れません。
もう最後の方には、漢朝復興・三国統一どころではなくて、蜀を守るだけでも精一杯だったでしょうに、孤立無援で退く事もならず、本当に苦しかったんじゃないかと思います。
なまじっか
孔明という稀代の天才に師事したばっかりに、力及ばぬ時の絶望感は、察するに余りあります。
柴錬三国志を読んでいて、叶う事ならこの時代に飛んで行って、
姜維の側に居て少しでも支えになれたら、と、どんなに思った事か(役に立たないってば、すぐに討ち死にしそうな私なんか)。

酒色に耽る君主と、それに阿諛追従し内憂外患を見て見ぬ振りをする臣下たち。
そんな国、適当な所で見限ってしまえば良かったのに、一度裏切った魏へは戻れないだろうし、何よりも
孔明から国を護る使命を引き継いでいた為に、姜維は最後まで蜀を捨てられなかったんでしょうね。
・・・運命とはいえ、余りに切ない。
でも、死の間際、薄れゆく意識の中で、己の不甲斐なさを呪ったとしても、
孔明と共に歩み、その遺志と共に生き続けた後半生を、姜維は悔やんでいなかったと思いたい。
孔明姜維の2つの魂が、冥府にあっても、生前と変わる事無く、子弟の交わりを続けていてくれたらと、願わずにはいられません。

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