大国主命(おおくにぬしのみこと)
「もう大丈夫」

大国主命

これ、卯年の年賀状です。
年賀状用なので、特に個性的な顔にしようと思わずに描いた為、顔立ちが「
倭建命」と殆ど同じですね・・・、癖のない整った顔立ちで髪をミズラに結うと、衣装も後代の様に様々な種類がある訳ではないので、殆ど見分けが付かなくなりがちです。古代の人物の描き分けって、しっかりやろうと思わないと全然出来ません、難しいです。

この頃の年賀状は未だプリントゴッコで作っていたので、絵柄も彩色も凄く簡単。でも多色刷りで色の刷り分けをする為に、これでも確か4回、版を変えて刷ってます。
毎年旦那の分も一緒に作るので、130枚×4=520回、プリントゴッコでパタパタ印刷。出来上がる頃には肩と腕と腰が痛くなって、もうよれよれでした。
午年の「
短甲武人」以来、パソコンでイラストを取り込んで年賀状を作るようになって、印刷が天と地ほど楽になり嬉しかったのですが、今度は原画を手抜き出来なくなったので、それはそれで大変かも。

小さいですが、年賀状も貼っておきます。

大国主命


大国主命は、須佐之男命(すさのおのみこと)の息子(孫という説もあります)。様々な試練を与えられ、それを乗り越えた末に、須佐之男から出雲国を譲られ、その後は国造りの為に色々な事を行いました。
因幡の白兎の逸話は、彼が須佐之男から国を譲られる以前の事です。

ある時、因幡国(鳥取県東部)の八上比売命(やがみひめのみこと)に求婚しに行く事にした大国主の兄弟達は、大国主には袋を担がせ、従者扱いで連れて行きます。一種のイジメですね。
一行は、気多
(けた)の岬(鳥取県気多郡気多村所在)で、丸裸の兎が伏しているのに出会います。兄弟達は兎に、「海水を浴びて風がよく当たる高い山の上へ行き、そこで伏しているがよい。」と教えます。
兎がその通りにすると、浴びた海水が風に吹かれて乾き、皮膚が一面にヒビ割れてしまいます。意地悪な兄弟達は、嘘を教えたんですね。兎が痛みに苦しみ泣き伏している処へ、最後に通りかかったのが大国主。

泣 いている訳を尋ねる大国主に、兎は、隠岐の島からこちらに渡ろうとしたが、渡る手段が無かったので、海に住んでいる鮫を騙し、「どちらの一族の方が多いか 数を数えて比べてみよう」と言って海上に一列に並ばせ、その上を踏んで渡ったが、陸地に降りようとする時に、「お前達は騙されたんだよ」と口走ったが為 に、鮫に捕まって着ているものを全部剥がれてしまった事、大国主の兄弟達の教えの通りにしたところ、身体は一面傷だらけになってしまった事を伝えます。
大国主は、「今すぐに河口ヘ行き、川の水で身体を洗い、河口に生えている蒲の花の花粉を採って敷き散らし、その上を転げ回るがよい。」と教えます。兎がその通りにすると、身体は元通りになりました。
兎は大国主に、「御兄弟達は八上比売を得る事は出来ず、袋を担いでお供のなりをしている貴男様が比売を得るでしょう。」と告げます。

その言葉通り、八上比売は大国主の兄弟達の求婚を拒否。「貴男方の言葉は聞きません。私は大国主の妻になります。」との言葉に激怒した兄弟達は、その後あれこれと汚いやり方で大国主を殺そうとしますが、大国主はその難を逃れて須佐之男の元へ。
そこでも須佐之男に色々な難題を課せられますが、須佐之男の娘の須勢理比売(
すせりひめ)の助けでそれを解決し、須勢理比売を連れて須佐之男の元を逃げ出します。
須佐之男は逃げる大国主に向かって、「兄弟達を追いつめて打ち伏せ、須勢理比売を本妻とし、宮殿を建てて住め。」と告げ、国を譲るのです。

その後、大国主は因幡の八上比売の他にも、越(こし)の国(北陸地方)の沼河比売(ぬなかわひめ)など、何人もの女神を妻に迎えていますが、本妻の嫉妬が酷くて大変だったようです。まあ、仕方ないか。

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