大国主命(おおくにぬしのみこと)
「もう大丈夫」
これ、卯年の年賀状です。 年賀状用なので、特に個性的な顔にしようと思わずに描いた為、顔立ちが「倭建命」と殆ど同じですね・・・、癖のない整った顔立ちで髪をミズラに結うと、衣装も後代の様に様々な種類がある訳ではないので、殆ど見分けが付かなくなりがちです。古代の人物の描き分けって、しっかりやろうと思わないと全然出来ません、難しいです。 この頃の年賀状は未だプリントゴッコで作っていたので、絵柄も彩色も凄く簡単。でも多色刷りで色の刷り分けをする為に、これでも確か4回、版を変えて刷ってます。 小さいですが、年賀状も貼っておきます。 |
大国主命は、須佐之男命(すさのおのみこと)の息子(孫という説もあります)。様々な試練を与えられ、それを乗り越えた末に、須佐之男から出雲国を譲られ、その後は国造りの為に色々な事を行いました。 因幡の白兎の逸話は、彼が須佐之男から国を譲られる以前の事です。 ある時、因幡国(鳥取県東部)の八上比売命(やがみひめのみこと)に求婚しに行く事にした大国主の兄弟達は、大国主には袋を担がせ、従者扱いで連れて行きます。一種のイジメですね。 泣
いている訳を尋ねる大国主に、兎は、隠岐の島からこちらに渡ろうとしたが、渡る手段が無かったので、海に住んでいる鮫を騙し、「どちらの一族の方が多いか
数を数えて比べてみよう」と言って海上に一列に並ばせ、その上を踏んで渡ったが、陸地に降りようとする時に、「お前達は騙されたんだよ」と口走ったが為
に、鮫に捕まって着ているものを全部剥がれてしまった事、大国主の兄弟達の教えの通りにしたところ、身体は一面傷だらけになってしまった事を伝えます。 その言葉通り、八上比売は大国主の兄弟達の求婚を拒否。「貴男方の言葉は聞きません。私は大国主の妻になります。」との言葉に激怒した兄弟達は、その後あれこれと汚いやり方で大国主を殺そうとしますが、大国主はその難を逃れて須佐之男の元へ。 その後、大国主は因幡の八上比売の他にも、越(こし)の国(北陸地方)の沼河比売(ぬなかわひめ)など、何人もの女神を妻に迎えていますが、本妻の嫉妬が酷くて大変だったようです。まあ、仕方ないか。 |
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