白昼夢

 

突然

身も凍る叫び声に脳天を掴まれる

 

真昼の街

卵殻の如く白濁した空の元

崩れかけた瓦屋根の谷間に人影は無く

出口の無い殻の内に滞る

高い湿気と二酸化炭素に呼吸(いき)を塞がれ

痺れる脳に霞む視野の端に

太古の昔に絶え果てた生き物が現れる

屋根越しにどれ程の距離か

息を詰めて間合いを測る

 

辺りの大気を震わせて

咆吼が頭上に降り注ぐ

繰り返し繰り返し

その姿を凝視したまま逸(そ)らせぬ視線

目が合えば命は無い

 

耳を塞ごうにも動く事能(あた)わず

次第に近寄り来る地響き

時は止まり虫の音(ね)も聞こえず

鳥は何処(どこ)だ野良犬は何処(いずこ)

音も無くコマ送りの如く行き違う

白く光暈(ハレーション)を起こした車の幻影

人間は何処だ

食われるのは私一人か

 

腰から下が樹木の如く

地に貼り付いたまま微動だに出来ず

振り仰いだ眼(まなこ)の中に押し入って来る

天を突く火山弾の如きシルエットを見上げている私

 

今ゆっくりと斑(まだら)染めの塊がこちらを向いた

 

――――――――――――

 

――― 待て

あの炎が見えるか

お前の探しているのは噴火口ではないのか

突然開いたそれを探して

お前は時の裂目から彷徨(さまよ)い出たのであろう

それともお前の本能が

私の中に燻(くすぶ)っている暗い焔(ほむら)を捉えたか

そう思える程に

お前の咆吼は慟哭に近い

 

 

――― 行け

私の心の熱量は

お前の食欲を満たすには程遠い

食わるるに足る

襲われても立ち向かえるだけの

激しさを持ち得る事が出来たなら

その時は私がお前の足元に駆け寄って叫ぼう

命を賭けて

 

 

だから今はまだ私を食うな

こんな矮小(ちいさ)な魂を認めるな

生きているとはとても言えぬ

無様(ぶざま)な存在は無視して往けよ

次にお前に遭遇(あ)う時は

背には白銀(しろがね)の翼を着けて

身には鋼(はがね)の甲冑(よろい)を纏(まと)

手には雷電(いかづち)の太刀を持ち

紅い血潮の言葉吐き

眼には螺鈿(らでん)の光帯び

私の全てを賭けて渡り合おう

 

 

それまでは

彷徨(さまよ)う孤独なお前の夢を

昼も夜も抱いて眠ろう

私の愛しき宿敵として


●解説●

火災発生と共に突然鳴り渡る消防署のサイレン。救急車のそれよりも低く太い、独特の音階と抑揚を持ったあのサイレンを初めて聞いたのは、実家を離れて生活を始めた大学生の時でした。
最初それが何の音なのか全く判らず、暫し路上に固まったまま身動き出来ませんでした。まるで巨大な恐竜がすぐそこで突然雄叫びを上げ始めた様な、いきなり何の前触れも無くこの世の終わりの来る様な、脳髄から脊髄まで一気に突き通される様な、底知れぬ恐ろしさを感じたのです。
消防署のサイレンだと判ってからも、あの異様な音を聞く度に、普通に「ああ、また火事か、嫌だな」とは思えず、咄嗟に身のすくむ様な本能的な恐怖を感じます。

もう何年もの間、この感覚を詩にしてみたかったのですが、ただ「サイレンが恐竜の声の様だ」と表現するだけではどうしても何か言い足りず、上手く言葉が探せなくてずっと寝かせていました。
ふとした弾みで、火災の炎と重なる噴火口のイメージが湧いて来て、後は心の底にずっとわだかまっていた感情が一度に憤出したように、最後まで一気に辿り着きました。

サイレンが鳴る度に感じる、火災に対するものとは違う恐怖の正体がやっと解って、胸のつかえが降りました。でもやっぱりあのサイレンが本能的に嫌なのは変わりそうにありません。


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