亜霊
「花言葉なんて知るもんか」

亜霊

哀しい想い出など握り潰してしまえば済む筈なのに
爪を染めて指の間を流れ落ちる心を止める事も出来ず
途方に暮れて立ち尽くし握った掌さえ開けないまま
祈る事も認める事も消え去る事すら叶わない
愚かな俺だけが此処にいる



・・・子供の頃、彼岸花は「死人の花」だと言って、皆が嫌っていました。
秋の彼岸の頃になると、田圃の畦道や墓地の周りに突然群がり生えて来る、血を思わせるような色の花と、嫌でもそれを目立たせる黄緑色の茎だけが、人の首の ように長く伸びて・・・・・・、どうしてそう言う生え方をするのか、あの茎の根元には何かの屍が埋まっていて、葉が無くとも其処から血を吸ってあのように 朱い花が咲くのではないか・・・・・・。
子供心にも、あの独特の強烈な色彩と形状が、どうにもこの世の花ではないように思われて、恐ろしく忌まわしき物として焼き付いていたのかも知れません。

そ れが、歴史や民俗学をかじり初めて、闇に葬られた者たちの声にならない叫びを聞くようになってから(霊能力があって本当に声が聞こえる、というのではなく て、資料の行間から隠されたものが感じ取れる、という意味です)、何故か彼岸花が好きになって来ました。そして彼岸花の花言葉が「哀しい想い出」だと知っ てしまった時には、何だかもうこの花は、他に取って代われるものの無い存在になっていたのでした。

厳 しい残暑が過ぎて朝晩ようやく凌ぎ易くなり、そろそろこの花が咲き始める頃になると、どうにも落ち着かないのですよ。道を往き来していても、無意識の内に 眼の端であの朱い色を探しているのです。群生しているのを見つけると、全部刈り取って持って帰りたいと思うのですが、傍目には尋常じゃない振る舞いに見え そうなので(^^;)、我慢する代わりに、出かける時には出来るだけその場所を通って眺めて行くようにしています。
・・・しかし自転車に乗りながら脇見をしていると、田圃の横の溝に落ちる恐れが多分にあるので要注意なんだなあ。未だ落ちた事は無いですが、毎年こんな調 子では、いつかそのうち間違い無く悲惨な目に逢うだろうなと覚悟しています(人生においてそんな覚悟をする必要があるのか?)。

落描きの「嬉しいか?」のコメントにも書いたのですが、人恋しさに魂が燃えているかのような切なく激しい朱色の彼岸花を、一度でいいから自分の身体が埋もれるほど一杯かき集めてみたいのです。可笑しいでしょう?
延々と続く田圃の畦道を辿りながら、ひしめき合うようにして生えている彼岸花を、ひたすら気が済むまで摘んでみたいと思うのですが、ずっと向こうのその先 は本当に彼岸に続いていて、花を追っているうちに、気が付いたら辺り一面に彼岸花の咲く場所で、遙か向こうに今は亡き人の姿を見つける事が出来るかも知れ ません。
彼岸花畑の中でなら、誰にも言えず抱えたまま逝ってしまった言葉も、こっそり私にだけは教えてくれるような気がするのです。

・・・・・・ねえ、聞きたい事が沢山あるよ。ずっと言えずにいた事も。

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