五十狭芹彦(いさせりひこ)・温羅(うら)
「後悔の果てに」

五十狭芹彦

ここからは、落描き「温羅」で書いたコメントの続きです。

(やまと)の地で、他の渡来系製鉄民と親しくしていた五十狭芹彦(いさせりひこ)は、温羅(うら)を誤って死なせてしまった事を激しく悔やみます。後になって、自分の背負っているものが何処か温羅のそれと似通っている事に気付いて、もしかしたら良き友になれたかも知れないと思うのですが、今となっては叶わぬ事。

五十狭芹彦

悲惨なクライマックスシーンを考えながら、本当はこんな仲の良い2人を描けたらどんなに楽しいか、と嘆いたものです。

五十狭芹彦・温羅

温羅が生きていたら、倭の将軍であるにも関わらず、五十狭芹彦全身ススまみれになってあちこち火傷しながらも、製鉄を教えて貰ったんじゃないかと思います。温羅弟の王仁(わに)は生き残るのですが、兄を殺してしまった以上、何のわだかまりも無く彼に教えを請えるかどうか・・・。流石にちょっと難しいかも知れません。

五十狭芹彦・温羅

五十狭芹彦はその後、倭へは戻らず吉備で一生を終えます。吉備津神社には吉備津彦に刎ねられてもなお吠え続けた温羅の首が祀られていて、今でも首の上に据えられた鉄の釜が鳴って託宣をすると言う神事が行われています。神事を行う巫女は「阿曽女(あそめ)」と呼ばれ、温羅の妻が首を祀ったのが最初と言われていますが、私は五十狭芹彦温羅の死を悼んで弔い祀らせたような気がするのです。

五十狭芹彦・温羅

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